------------------------------------------------------------ 2009. 8.31 (MON) − なつも、おしまいか 毎月末の恒例となりつつある日記の更新でございます。……恒例になってはいけない。 衆議院議員総選挙の結果を顧みて、日本の将来が不安でならない椅子さんです。この先、果たして。 ラジオも数ヶ月間お休みしてしまい、楽しみにしてくださっている方々には申し訳がありません。 ゆとりを持てるようになれば、また再開したいと思っています。しばらくは充電させてください。 また、色々と日記に書きたいことは溜まっています。ホントです。ホントですってば! ……そんなネタはすぐ人に話したがるので、自分の中でなんだか新鮮味が薄れてしまうのですが。 そんなん知ったこっちゃ無いですか。そりゃそうだわ(^^^) さて。 ぼかすような、はぐらかすような、あいまいで、はっきりしないけれど、たいせつなはなしをします。 公にするのがややはばかられる内容なのですが、今の自らの心情からして避けて通るのは難しいので。 私は、人に相談を持ち掛けられたり、意見を求められたり、愚痴を聞いたりする機会があります。 それほど頻繁、というワケではないのですが、性格?の所以なのでしょうか。 ラジオなどでもいっちょまえのように悩み相談なんて引き受けてますけどね。大した人じゃないよ。 もちろん、その人が対峙している問題を受け止めて、自分なりに真剣な対応をしているつもり。 少しでも頼りにしてもらえているのであれば、その期待には全力で応えなければ失礼ですから。 では、「その問題の渦中に自分がいる」場合は。ええと。どうしたら良いんだろう。 自分の「我」を押し通す事は正解か?そうは思わない。 かと言って、自分の「我」を裏切る事が正解か?それも違うんじゃないのか。 強制行使は何も生まないし、自己犠牲は責任のなすり付け。 自分ひとりで物事が解決できるワケじゃないんですよね。そこが、単純だけれど、厄介。 各々がしっかり納得できる答えを持ち寄って、それを少しずつ積み上げていくよりないんだろうなあ。 なんて事をちょっと考えていたら、ふいに涙が出てしまいました。なんでやろ。 今、望むべくは、ありのままに、自分らしく。ただ、それだけ。 ------------------------------------------------------------